カトリック上福岡教会

教会報から

モミの木ボランティア(2015.3.24〜26)

Uさん(女性)

テレビで東日本大震災の当時の経験談が語られている。チャンネルを変える手が止まる。新聞に福島の見出しがあると細かい文字まで読んでしまう。楢葉町、お盆前に避難指示解除……。第9次(今年3月24〜26日)の福島行きに参加したあとの自身の変化がある。

無事役目を終えた帰りの高速では、運転しながら知識豊富なVさんが「『協』の文字は左に十字架があって右に三つのカトリック教会がある」と 今回の川越・飯能・上福岡3教会の『協力』を明るく讃えていた。3名参加の飯能教会は、羨ましいほど家庭的で仲が良かった。

帰宅後、教会の人から「福島はどうでしたか」と聞かれる。友人からも「どうだった。」と聞かれた。行って良かったのは確実に間違いない。でも「良かったです。」という簡単な応え方は出来ない。見て感じたことを表現出来ないもどかしさを「重たくて一言では語れない。」と言葉に出す、と同時に熱くなる思いを感じていた。

4年前の3月11日以後も、自分の地元の子どもの支援が優先だった。4年間何も出来ないで申し訳ないという気持ちがどこかにあった。

高級住宅と仮設住宅が低いフェンスを境いに、あるいは道路を挟んで同じ町にある。順調に目的地に入って最初に目にした風景だった。複雑な生活の心情が推し量られた。仮設住宅は4年の時を経て、色があせていた。

3日間きれいな青空だった。カフェを開きながら、準備に手をかけられたWさんのビーズネックレスの指導は優しく丁寧だった。

皆楽しそうに、そして独特のセンスで仕上げていった。「このネックレス付けてどこへ出かけようか、ハハハ。」どこも女性たちの会話は明るかった。男性は話しをする人もいるし黙々と絵手紙を描く方もいた。それぞれ集会所はいろいろな手作りの品で飾られていた。もう850個も作り施設や病院に配ったという女性がくれた小物入れはとても完成度の高いものだった。○○の仕事してたからこういう材料は手に入るといって男性が手作りの知恵の輪を実演して見せてくれた。

絵手紙を教えながら上手に聞き役になるXさんを相手に「どうせ話したって解かってもらえないからさあ。みんな黙って趣味とかやってんだよ。ここ居る人みんなそうだよ。何にも言わないけどおんなじ思いだよ。でも今日は聞いてもらえて良かったよ。」大きな声が聞こえてきた。仮設住宅から復興住宅に移るその後の大変さも語っていたその男性が書いた絵手紙は盆栽だった。自宅には趣味の盆栽を何百鉢も置いてきたそうだ。

一回一回の参加は点かもしれない。その点が実は線としてずっと繋がっている。カトリック教会は『私たちは忘れていません』のメッセージを送り続けている。

今回の福島行きは、全く予期していなかった。偶然と勘違いと滅多にしない即決から『もみの木』という、和やかなカフェと出会うこととなった。素敵なログハウスだった。その『もみの木』から 仮設住宅へ行く出張カフェの手伝いが仕事だった。事前打ち合わせで、おもてなしの心得とおいしいコーヒーの入れ方を学んだ。

出張カフェは3日間で@下矢田第一 A上神白仮設 B高久第九第2集会室 C高久第十仮設第1集会所の4箇所をまわった。これまでの皆さんのお骨折りでスムーズな流れが出来ていた。本当に私はお手伝いだった。川越教会のYさんは支援要員、飯能教会のVさん、Xさん、Wさんは経験者。現地いわき教会のZさん。ひとり初心者だった私が戸惑うことないよう、さりげない声かけがあった。『もみの木』を切り盛りしている2人の女性の心遣いと合わせて、温かいもてなしを受けたのは私自身だった。同席していて居心地が良かった。冷えないようにと一晩中焚かれたストーブ新鮮な白魚、初体験「めひかり」のてんぷらのランチ。

もともと情報には疎い。この4年間のカトリック教会の取り組みの全体像も全く見えていなかった。行き先の地名も知らなかったし楢葉(ならは)町も読めなかった。東日本大震災の状況、まして原発のことは理解していなかった。うとい(疎い)…物事の情・状況に通じていない。その分野に興味がなく良くわからない。趣味ならそれでもいい。でも当事者意識を持たなければならない問題があると今更ながらに思う。

上福岡担当の第12次が11月24〜26日にある。是非一度、一度でだけでもいいから『もみの木』へ向かうことを勧めたい。自身の目で見、問題の重さを肌で感じることで関心が変わる。『東日本大震災被災者のための祈り』が心からの祈りに変わる。

ページの上へ

2015被昇天号(2015年8月15日発行)より転載

「教会報から」のページへ戻る