カトリック上福岡教会

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図書紹介

本田哲郎訳『パウロの書簡』と『小さくされた人々のための福音』

Rさん(男性)

訳者の本田哲郎神父は、フランシスコ会司祭で、有名な聖書学者です。ローマ教皇庁立聖書研究所卒で、ギリシャ語、ヘブライ語等の達人となりました。でも、それだけでこれらの名訳が生まれたわけではありません。訳者は大阪釜が崎で、自らも日雇い労働者として働いています。そして毎週日曜日に、おおぜいの労働者といっしょにミサをささげつづける中で、「この苦労をなめつくしてきたせんぱい、仲間の労働者に、『福音』のすごさがピンとくる聖書があれば...」という思いがふくれあがっていきました。しかしそれは、よくよく思いをこらしてみれば、訳者自身にピンとくる、はらわたにひびく日本語の聖書が欲しいという願いにほかならなかったそうです。

『小さくされた人々のための福音』は、2001年に新世社(名古屋)から出版されました。新約聖書の四福音書と使徒言行録から成ります。『パウロの書簡』は、2009年にやはり新世社(名古屋)から出版されました。新約聖書の使徒パウロの手紙の内、ローマ/コリント/ガラテア/エフェソ/フィリピ/コロサイの人々への手紙と、フィレモンへの手紙を収録しています。

『小さくされた人々のための福音』の「はしがき」の中で、「わたしたちのだれよりも、ナザレのイエスの境遇に近く身をおく、世の小さくされた人たち、たとえば寄せ場の日雇労働者にピンとこない解釈や言い回しが、イエスの境遇とはほどとおい生活にひたっているわたしたちに、分かるはずはないのです。」とあります。この2冊の訳は、従来の訳と比べて、とても分かりやすいと思います。

パウロの手紙の中の、有名な「コリントの人々への手紙 一」13章の冒頭部分(12章の末尾を添える。一コリント12:31−13:7)で、新共同訳聖書と本田哲郎訳を比べてみましょう

新共同訳聖書

あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。


そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。

13
たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

本田哲郎訳

求めるべきは「人を大切にする」(愛)というカリスマ
あなたたちは、もっとも偉大なカリスマを、熱く求めてください。最高の道として、
それをあなたたちに示します。

13
たとえわたしが、異なることば(異言)で話し、
み使いのことばで話せたとしても、
人を大切にしないなら、
わたしは音を立てるドラ、けたたましいシンバルです。

たとえわたしが、預言する力をもち、
神秘のすべて、あらゆる知識に通じていて、
絶対の信頼をもってあゆみを起こし、
山を移すことができたとしても、
人を大切にしないなら、
わたしの存在は無意味です。

たとえわたしが、全財産を炊き出しに注ぎ込み、
わが身を投げ出して、それを誇りに思ったとしても、
人を大切にしないなら、
わたしに益するところはありません。

人を大切にするとは、忍耐づよく相手をすること。
人を大切にするとは、思いやりをもって接すること。
人を大切にするとは、ねたまず、うぬぼれず、思い上がらず、
めざわりなことをせず、自分の利を求めず、いらだたず、
人の意地悪を根に持たず、人を不正に抑圧して喜ばず、
ともに真実を喜ぶこと。

人を大切にするとは、すべてを包み込み。
なにごとも信頼してあゆみを起こし(信仰)、
すべて確かなことに心を向け(希望)、
どんなことにもめげずに立ちつづけることです。


いかがですか? 本田哲郎訳は、とても分かりやすいと思いませんか?

入手方法は、インターネット通信販売が便利です。『パウロの書簡』は、Amazonをはじめ、Honya Club.comやHMV(ローソンの図書等通販サイト)など多くの通販サイトから入手できます。『小さくされた人々のための福音』は、Honya Club.comやHMVから入手できます。また、出版社「新世社(名古屋)」、書名、訳者名を指定すれば、書店で取寄せることもできると思います。

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2014クリスマス号(2014年12月25日発行)より転載

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