教会報から
サラマッポ・スタディ・ツアーに参加して
Pさん(学生・男性)
僕は外国に行くのは初めてでした。僕は人付き合いが苦手なので最初は乗り気じゃなかったのですが、親の強い押しにより行くことになりました。
マニラに着いて初めに思ったのは交通マナーが「てきとう」という事でした。ぶつかるんじゃないかとヒヤヒヤでした。
8/1〜4を過ごしたパラワンのモデュラー・スクールでは、親元を離れて集団生活をしている子供達と交流しました。歳は10〜18ぐらいで、皆元気で良い子たちでした。彼らは朝と夕方に畑仕事があり、自給自足に近い生活をしていました。調理場だけ水道が付いていて、洗濯に使う水などはポンプで汲み上げていました。日本ではポンプなんてほとんど見ないので印象的でした。3日目には海に行きました。すごく澄んでいて綺麗だと思ったけど、パラワンでは汚い方だと言われたので驚きました。
8/5〜8を過ごしたサパンパライの施設で交流した学生達は年齢が16〜22ぐらいでパラワンの子供達と違い同世代なので、また違った物を感じました。そこはパラワンに比べれば都会という感じで、若者は携帯をいじっていました。そこの学生とは結構仲良くなって日本に帰ってからもFacebook を通して交流を続けています。
他にも世界大戦中の苦しみや、厳しい環境からどう立ち直って来たのかなども少し知ることができて良かったです。
旅の途中、夜の神父こと西本神父のお墓参りをして、紹介VTRも観ました。少しも曇りのない笑顔の写真を何枚も見ました。それだけでもすごい人そうだなとは思いましたが、やはり実際に会えなかったのは残念でした。
旅を通して感じたのは、フィリピンには優しく親切な人が多いという事でした。赤の他人でも自分の住んでいる街を案内してくれる人も居るし、交流した青年たちは明るくて、僕らが英語をあまり喋れなくても諦めずにコミュニケーションをとってくれます。そういうのに僕はすごく助けられて、同時に自分も彼らのようになりたいと思いました。
文化の違いもすごく感じられました。青年にサパンパライを案内してもらった時に、案内してくれた女の子の家を見せてもらったのですが、家にあった電化製品は少し映像の荒いテレビとカバーの外れた扇風機ぐらいでした。日本ではただ貧しい国という事しか知らなかったので実際に見てフィリピンの貧しさを実感しました。しかし、何故だかその貧しさに可哀そうとは思いませんでした。多分それは彼らが喜びを持って生きているからだと思います。彼らの信仰は強く教会の前を通れば十字架をきり、ミサでは本当に神様に感謝している。という感じが伝わって来ました。
そう考えてみると僕は今まで教会をただ祈る場所と思っていた気がします。しかし、感謝することも同じぐらい大事、むしろ感謝する事の方が大事なんだと気付かされました。
最初はノリ気じゃなかったけど、フィリピンで色んな人達と交流したりできた事は大きな財産になりました。サラマッポ。
(サラマッポ会会報No.56より転載)
【編集部注】
「サラマッポ」とはフィリピノ語(タガログ語)で「ありがとう」のこと。「サラマッポ会」は勉強をしたくても、経済的な理由で学校に行けないフィリピンの青少年に学費を送っている団体(NGO)です。「サラマッポ・スタディ・ツアー」は、サラマッポ会奨学金を受けている青少年と日本の青少年の交流のための旅行です。
2011クリスマス号(2011年12月25日発行)より転載