カトリック上福岡教会

説教

聖霊降臨の主日(C年 2025/6/8)

ヨハネ14:15−16、23b−26

本日は聖霊降臨の祝日です。聖霊は、私たちが日頃よく耳にし、口にするお方ですが、具体的にどのような存在なのか、意外と知らないことが多いかもしれません。そこで、今日は聖霊について深く理解を深めていきましょう。

聖霊は、聖なる神の霊であり、父と子と共に崇拝され、栄光を捧げられる三位一体の一つの位格です。まるで風のように目には見えず、ただ感じることしかできません。そのため、聖霊は風、水、炎の形で、また曇、光、鳩の姿で表現されることがあります(『カトリック教会のカテキズム』694-701項 参照)。

聖霊は「パラクレートス」とも呼ばれ、「そばにいるように呼ばれた者」という意味を持ちます。これは、聖霊なる神が、弱い私たちのために、いつも私たちのそばにいてくださることを示しています。聖霊は私たちを保護し、慰め、助け、教え、弁護し、神と私たちの間を取り成してくださいます。ご自身のすべてを捧げて私たちの心を神のいのちと愛で満たし、私たちが主と隣人との愛を深め、イエスのように行動し、愛することができるように導いてくださるのです。

また、聖霊を意味するギリシャ語の「プネウマ」は、息や風を意味します。ちょうどタイヤの空気が車を走らせるように、聖霊は私たちに霊的エネルギーを与え、活力を与えてくださいます。初代教会の弟子たちも、失望と恐れの中で聖霊を受け、大胆に福音を宣べ伝える者へと変えられました。聖霊は、倒れた私たちを立ち上がらせ、励ましてくださる尊い恵みであり、神からの贈り物です。

神の無限の実在と神秘は、人間の理性では完全に理解することはできません。しかし、聖霊は、目に見えない神の存在を私たちが感じ、体験できるように、私たちに近づいてくださる愛のしるし、神ご自身の「自己伝達」です。この自己伝達の頂点は、神が聖霊によって人間となられた受肉の神秘にあります。これは、太陽の光と熱が私たちに届くように、神の愛と力が聖霊を通して私たちに与えられることと似ています。

聖霊は、「照明の恵み」と「慰めの恵み」を与え、私たちを目覚めさせ、新しいいのちへと変え、神の子となる生きた命を与えてくださいます。この命の中で生きる者は、「愛、喜び、平和、忍耐、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ5:22-23)といった聖霊の実りを得ることができます。私たちは聖霊を通して神の愛を受け、罪を赦され、神の子、キリストの兄弟姉妹となり、三位一体である神のいのち、すなわち永遠の命に参加できるのです(『カトリック教会のカテキズム』733-736項 参照)。

エマオへ向かう弟子たちが、主を認識できなかったにもかかわらず、主の言葉に心を燃し、パンを裂くことで主を悟ったように、復活されたキリストは、私たちが深く挫折し、恐れ、苦しむときにも、知り得ない方法でそばにいてくださいます。そして、聖霊を送り、命の恵みによってその神秘的な現存を悟らせ、慰めの恵みによって私たちを再び立ち上がらせ、助けてくださいます。

聖霊の力によって新しく変えられるためには、常に聖霊が日常生活で私たちと共にいてくださるよう祈り求めることが大切です。聖書やカトリックの本の読書を通して、心の中で聖霊の熱い火を体験することもできます。いつでもどこでも聖霊に願い求めれば、聖霊は愛をもって私たちを導いてくださるでしょう。私たちの内に聖霊が来てくださるよう、次のように祈りましょう。「来(きた)れ、聖霊。あなたを信じる民の心を満たし、あなたの愛の火をともしてください。あなたの霊を送り、新しくしてください。 大地の顔を新たにしてください。」

この一週間、私たちのためにご自身の命、すべてを捧げてくださるほど私たちを愛してくださる主を信じ、神のその愛と力に頼り、また私たちのそばにいてくださる「パラクレートス」や「プネウマ」である聖霊の恵みに頼って、神の愛に感謝し、隣人を愛する生気ある生活を送ることができますように。

カトリック上福岡教会 協力司祭 イ・テヒ神父

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