カトリック上福岡教会

説教

キリストの聖体(C年 2025/6/22)

ルカ9:11b−17

今日の福音で、イエスさまは五つのパンと二匹の魚を手に取り、天を仰ぎ祝福してから、それを弟子たちに渡し、群衆に分け与えるようにされました。この場面は、ご聖体の祭日にあたる今日、私たちにご聖体の深い神秘を思い起こさせてくれます。

福音に出てくる「パンを取り」「祝福し」「裂き」「与える」という表現は、イエスさまが弟子たちと共に行われた最後の晩餐を思い出させます。ルカ福音書にも「パンを取り、賛美をささげ、裂いて彼らに渡された」と記されています。こうして五千人を養われた奇跡は、ご聖体の先取り、予表とも言え、私たちがご聖体を通して主の愛の豊かさを体験できることを示しています。

今回の福音で私は、主がパンと魚を祝福された姿に注目しました。ここで言う祝福とは、偶然の幸運や宝くじが当たるといった意味ではなく、神がご自分の愛と善意、配慮を私たちに与えてくださるということです。ちょうど父親が子供のために美味しい料理を用意し、喜んで食べる姿を見て嬉しく思うように、神も私たちがご聖体を通してキリストの御からだと御血をいただき、新しく生き生きと歩むことを望んでおられます。そしてその姿をご覧になって喜ばれるのです。

16世紀のルネサンスの画家ティントレットは『パンと魚の奇跡』という絵画に、赤ちゃんに母乳を与えている母親の姿を描きました。これは母親が自分の肉と血を通して子を育て、愛で満たす姿が、ご聖体の恵みと通じることを示しているのです。

イエスさまも私たちの疲れた日々や霊的な飢え渇きを憐れみ、ご自身の御からだと御血を分かち与えてくださいます。私たちがご聖体を通してキリストの命と愛に満たされるように、赤ちゃんは母乳を通して命を得て、愛を体験しているのです。では、こうして親のような愛を注いでくださる主に、私たちは何をお返しできるでしょうか?

それは「感謝」です。親に感謝する子は親を喜ばせます。同じように、私たちもご聖体という掛け替えのない恵みを通してすべてを与えてくださった主に感謝し、より深い一致と平和を得ることができるでしょう。

さらに私たちは「分かち合い」も実践するべきです。五千人への給食の奇跡も、誰かが五つのパンと二匹の魚を差し出したからこそできました。可能でした。たとえわずかなものでも、主は私たちの小さな心と分かち合おうとする意志を通して他者を養い、新たな奇跡を起こされます。母親が何度も赤ちゃんに母乳や食事を与えて育てるように、私たちも日常の中で小さな分かち合いを積み重ねていけば、それが誰かに大きな喜びと命をもたらします。

そして分かち合いは決して金銭や物質に限りません。疎外された人々に時間を割き、温かい言葉をかけること、小さな親切や助け、教会での奉仕など、すべてが立派な分かち合いです。ご聖体においてご自分を与えてくださったイエスさまに倣い、私たちも自分自身を惜しみなく分かち与えていきましょう。主が五千人を養われたように、私たちも五千回の小さな分かち合いを通して、主の愛と命を広げることができるのです。

この一週間、ご聖体のうちに主と深く一致しながら、群衆を養われたイエスさまの憐れみの心、父親が子に食事を与える心、母親が母乳を通して愛を注ぐ心で、私たちも隣人へ愛を分かち与えていきましょう。

カトリック上福岡教会 協力司祭 イ・テヒ神父

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