説教
復活節第4主日(C年 2025/5/11)
ヨハネ10:27−30
イスラエルの荒野では、今でもベドウィンの人々が天幕を張り、羊を飼って生活しています。そんな荒野で一番大切なのは「井戸」です。井戸は命をつなぐものであり、救いに直結しているからです。牧者(羊飼い)は、井戸の場所を知っていなければなりません。もし知らなければ、羊だけでなく自分自身も死んでしまうかもしれません。
今日の福音で、イエスさまは「わたしは羊たちに永遠の命を与える」と言われました。つまり、イエスさまこそが「命の水」である神さまを知っておられ、わたしたちをその水へと導く真の牧者だと示されたのです。またイエスさまは、「わたしの羊はわたしの声を聞き分け、わたしについて来る」と言われました。
これは、実際の牧者の体験から出てきた言葉です。荒野で牧者たちが井戸に集まると、たくさんの羊が入り混じってしまいます。けれども不思議なことに、牧者が声をかけると、自分の羊だけがその声を聞き分けてついて行くのです。もし羊が牧者の声を知らなければ、迷って命を落とすことになります。
しかし、当時のユダヤ人たちの中には、イエスさまを信じず、その声を受け入れようとしなかった人もいました。彼らはすでに自分の考えや価値観に閉じこもり、神の真理に心を開こうとしなかったのです。福音で「聞く」とは、ただ耳で音を聞くことではなく、心を開き、受け入れて従うことを意味します。行動と実践をともなう信仰なのです。
ところが現代のわたしたちは、スマートフォン、テレビ、ネットなどの騒音に囲まれ、また心の中にも、傲慢、怒り、ねたみ、欲望などの雑音があります。そうした音に支配されると、イエスさまの声は聞こえなくなってしまいます。だからこそ、意識的に静かな時間を持ち、祈りや黙想、霊的読書などをとおして、心のノイズを消し、主の声に耳を澄ますことが大切です。
イエスさまはまた、「誰もわたしの手から羊を奪うことはできない」と言われました。それは、イエスさまが命をかけて羊たちを守る真の牧者であるということです。逃げたりせず、迷った一匹さえも探し出し、大切にされます。イエスさまは父である神から託された、自分のものとしての羊を心から愛しておられるのです。
羊たちは、牧者の声に慣れ親しんでいるからこそ、その声を信じてついていきます。まるで赤ちゃんが母の声を聞くだけで安心するようなものです。同じようにわたしたちも主の声に親しみ、信頼を深めていけば、主の与える命と恵みに与ることができるのです。主の呼びかけに忠実に応え、その導きに従って歩むことができるよう、わたしたちも心を整え、沈黙と祈りの中で主の声を聞き取っていきましょう。
カトリック上福岡教会 協力司祭 イ・テヒ神父