カトリック上福岡教会

説教

ラテラノ教会の献堂(C年 2025/11/9)

ヨハネ2:13−22

今日は、ラテラノ教会の献堂の祝日です。ラテラノ教会は、キリスト教がローマ諸国の迫害から解放された後、324年に最初に建てられた教会です。もともとはローマ皇帝コンスタンティヌスの宮殿でしたが、皇帝が教皇に献堂しました。その後、今のサン・ぺトロ大聖堂が建てられるまで、約1000年もの間、教皇庁の役割を果たしました。

そのため、ラテラノ教会は、「すべての教会の母」と呼ばれ、ペトロの座=教皇座、使徒座の権威を象徴しています。私たちがこの献堂を祝うのは、愛によって教皇座と一致していることを示すためです。

今日の福音は、神殿について語っています。神殿は、単なる建物ではなく、神がおられ、神と出会い、恵みを受ける場所です。

しかし、当時のエルサレム神殿は、本来の役割を果たしていませんでした。祭りの時期には多くの人が巡礼に来ましたが、神殿の中ではいけにえ用の動物を高い値段で売る商人、神殿税の両替でぼったくる両替商、そして、それを裏で支える大祭司など、不正と利権がはびこっていました。そのため、貧しい人々は神殿に近づくことさえ難しくなっていたのです。

そこでイエスは、動物を追い出し、商人を退け、両替商の台をひっくり返しました。そして、こう言われました。「この神殿を壊してみよ。三日で建てる直してみせる。」(ヨハネ2:19)福音書は続けてこう言います。「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。」(ヨハネ2:21)

イエスは、ご自分の体そのものを「真の神殿」として建てようとされました。それは、神を求めながらも神殿で出会えなかった人々が、イエスを通して神と出会えるようにするためでした。十字架と復活によって、イエスは私たちに命と愛を与える真の神を示されました。

洗礼を受けた私たちも、聖霊の宿る「小さな神殿」です。だからこそ、私たちは尊く大切な存在です。同じように、周りの兄弟姉妹もみな、神の神殿です。だから、互いを尊重すること、愛をもって接すること、共に神をお迎えする共同体があること、これこそが主の望まれる「神殿」です。

もし私たちの心の中に貪欲、わがまま、分裂、悪意、高慢といった商人や両替商のようなものが残っているなら、聖霊がそれらを清めてくださいます。特に、ご聖体をいただくたびに、イエスが私の内にいらっしゃってくださり、私が神殿となることを思い出しましょう。

私たち一人ひとりが神を宿す「生きた神殿」として生きる時、家庭や職場、地域で神の愛と聖(きよ)さを示すことができます。今日、ラテラノ教会の献堂を祝いながら、主が望まれる神殿として生きる恵みを願いましょう。

カトリック上福岡教会 協力司祭 イ・テヒ神父

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