カトリック上福岡教会

説教

年間第6主日(A年 2023/2/12)

マタイ5:17−37

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

今日の福音で、主イエスは弟子たちに、「あなた方の義が、(律法を厳格に守ることに努めた)律法学者やファリサイ派の人々の義に勝っていなければ、あなた方は決して天の国(神の国)に入ることはできない」と、仰せになっておられます。

厳しいおことばです。しかし、主イエスの弟子たちは、主のこのおことばに深く心打たれたに違いないと思います。

主イエスの弟子たち。ペトロを中心に彼らは主の十字架とご復活の後には聖霊を受けて主と主の教会のために重要な働きをすることになります。しかし彼らが主に呼ばれた時はどうだったでしょうか。彼らの誰一人として、この世的にはとくに知恵や力に優れていたわけではなかったと思います。彼らはガリラヤ湖の漁師たちであり、あるいは罪人と呼ばれた取税人たちでした。しかも、今日の福音の主のおことばが彼らに語られたのは、その彼らが主に呼ばれてまだ間もない頃のことでした。

そのような彼らに、「神の子」として、「神の国と神の義」に生きること、つまり神の子に相応しく義しく生き、神の子に相応しく神の国に招き入れられることを、主イエスのように真剣に願い、熱く語りかけてくれた人が、かつてあったでしょうか。

日々の貧しい生活に追われる中で、彼ら自身、自分たちが「神の子」であること、神の子として神の国と神の義を望み、かつ願ってよいのだということなど、とうの昔に忘れてしまっていたのではなかったでしょうか。主イエスにお会いするまでは。

彼らは、主イエスにお会いして初めて、彼ら以上に真剣に彼らのことを思い、願い、祈ってくださっておられる方があることを知らされたに違いありません。同時に、主との出会いを通し、彼ら自身、実は彼らが思っているよりもはるかに貴いもの、つまり「彼らは神の子である」ことを、感激を以て確信させられたに違いありません。

わたしたちは、自分のことは自分自身が一番よく知っているように思っています。しかし、本当にそうでしょうか。本当にわたしたちは、自分のことを一番よく知っているのでしょうか。実は、わたしたちのことを一番よくご存じであられるのは、わたしたちではなく、わたしたちの主イエス・キリストではないでしょうか。

2月22日から四旬節を迎えます。四旬節は、「悔い改めて、福音を信じなさい」との主イエスのみことばを、日々心に刻みながら歩む時です。しかし、「悔い改める」とはいかなることなのか。ここで、日本語で「悔い改める」と訳されている聖書の元の言葉は、「(主と)ともに思うこと」、つまり「(主と)心と心を重ね合わせる」という意味です。つまり、「主イエスと心を重ねさせていただく」。それが「悔い改める」ということです。そうであれば、「悔い改める」とは、わたしたちを大切に思ってくださる主のおこころを知り、その主のおこころをわたしたちが感謝して頂くことです。

わたしたちは、自分のことを大事だと思ってはいます。しかし、実際にはその大切な自分のために何を求めたらよいのか、あるいはその大切な自分が一体何を望み、何を願ってよいのかさえ、自分自身ではよく分かっていないのではないでしょうか。

主イエスは、わたしたちが「神の子」であり、主ご自身の「兄弟」であることに心を向けさせてくださいます。さらにごミサでは、主はわたしたちに、ご自身のからだと血を分け与え、文字通り、主とわたしたちがからだと血を分けた兄弟であることを、わたしたちの身の事実としてくださいます。使徒パウロが告げます。「あなたがたの命は、(兄弟である)キリストと共に神の内に隠されている」と(コロサイ3:3)。

主イエスは「山上の説教」の結びに、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」と、仰せになります。これは、主の確実なお約束です。求める者に与え、探す者に示し、門をたたく者に門を開いてくださるのは、主イエスご自身だからです。

わたしたちは何を探し求めるのか。「神の子」であるわたしたちが探し求めるのは、「神の義」と「神の国」に生きることです。そのわたしたちに、主イエスは確実に「神の国」の門を開いてくださいます。主は今日の福音の冒頭に「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するために来たと思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」と仰せでした。主は神の約束の成就として来てくださいました。

主イエスは、わたしたちのために、わたしたちの内に、「律法や預言者」・「神のみことば」を完成するために来てくださいました。みことばと聖霊によって、わたしたちを「神の子」としてくださるために。四旬節まで、「山上の説教」に導かれて、主のわたしたちへの願いと祈りに、主の愛に、そして聖霊においてわたしたちに働かれる主のおことばの権威と力にわたしたち自身を託させていただきたいと祈ります。

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

ゆりのイラスト

「説教」一覧へ

トップヘ戻る