カトリック上福岡教会

説教

年間第14主日(C年 2022/7/3)

ルカ10:1−9

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

『「神の国は、あなたがたに近づいた」と言いなさい。』

主キリストの弟子たちは、確信と喜びをもって大胆に人々に告げてよいのです。「神の国は、あなたがたに近づいた(今、来ている・完了形)神の国の主ご自身が弟子たちと共に訪問してくださっておられる(現存)からです。ルカは次のように伝えます。

「主は、(すでにお選びになっておられた十二使徒たちの)他に72人を任命し、ご自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に(ご自身の顔の前に)遣わされた。」

実は、主キリストはわたしたちを派遣されるその「すべての町や村」を、すでにご自身で訪問しておられました。主は、わたしたちを、見ず知らずの地や、ご自身が会ったこともない人々の許に遣わされるのではありません。主の宣教の始め、十二弟子をお選びになられる直前のこととして、マタイは次のように伝えていました。

イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、み国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いを癒された。」(マタイ9:35)続けてマタイは、その時の主キリストのご様子をも伝えていました。「また群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」(マタイ9:36)

さらに、「そこで、(主は)弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送って下さるように、収穫の主に願いなさい』」(マタイ9:37、38)との主キリストのみことばに続けて、マタイは、主が弟子たちの内からペトロたち十二人を特にお選びになり使徒として任命された、と伝えていました。

したがって、主キリストが使徒たちに託された使命は明快です。主は使徒たちを、「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている」「群衆」のもとに遣わし、「群衆」を神に(神のみ顔の前に)「収穫する」「働き手」とすること。使徒たちを「群衆」の魂の牧者とすることです。ただ、主は、それをどのようにしてなさるのか。

マタイは、主キリストの十二使徒の任命に際して大切なことを伝えます。「イエスは十二弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能(ex-ousia ご自身を割く)をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いを癒すためであった。」(マタイ10:1)

「汚れた霊を追い出す」ことができるのは「聖い霊」・主キリストご自身である「聖霊」だけです。主が弟子たちに「悪霊に対する権能」を授けられたことは、主が彼らにご自身そのものである「聖霊」、つまりご自身を割いてお与えになられたということです。だからこそ弟子たちを通して働かれる「聖霊」は、これまで主がご自身でなさったように、彼らを用いて「あらゆる病気や患いを癒す」といわれるのです。

マタイは、主キリストは福音の宣教の始めに十二使徒たちに「行って、『天の国、すなわち神の国は、近づいた』と宣べ伝えなさい」(マタイ10:7)と命じられたと伝えていました。ルカによる福音では、主はこの同じことばをエルサレムへの最期の旅の途上、十二使徒の「他の72人」を任命された時にもくり返しておられました。72人とは聖書ではイスラエルの主だった者たちすべてを象徴する数であり、わたしたちを含めた主の弟子たちすべて、すなわち教会全体を暗示する数です。(出エジプト24:1)

したがって、主キリストの使徒たちに加えられた教会のわたしたち一人ひとりにも、主は使徒たちと同じ「聖霊」を主ご自身を割いてお与えくださり、歴史を貫き、わたしたち教会を通して主ご自身が救いのみ業を行って行かれるということです。

日本での福音宣教は困難であるという言葉を度々聞きます。しかし福音の宣教が容易であった時代や地域など世界のどこにもありません。「行きなさい。わたしはあなたを遣わす」と仰せになられる十字架の主キリストは、「それは、狼の群れに小羊を送りこむようなものだ」と、宣教の困難のみならず危険をさえよくご存知です。

ただし、落胆する理由は何もありません。主キリストはご自身が、かつて訪ねられたすべての町や村にわたしたちを遣わされるのです。そしてわたしたちと共に、主ご自身が、再び人々を訪問されるのです。この主ご自身が、わたしたちに語らしめた福音の一切の実りを、「聖霊」において、人々に必ず豊かに結ばせてくださいます。

後に、宣教に遣わされた72人が「主よ、お名前を使うと悪霊さえもわたしたちに屈服しました」と「喜んで」主キリストに報告した時、主は「むしろあなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」(ルカ10:17−20)と仰せでした。主の福音宣教にお仕えすることは、「わたしたちの名が天に書き記される主がわたしたちをご自身に深く刻み込まれた・完了形)」ことであることを、わたしたちは忘れてはなりません。 

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

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