説教
年間第15主日(C年 2022/7/10)
ルカ10:25−37
父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。
今日のルカによる福音は、ある律法の専門家が、「イエスを試そうとして」次のように主キリストに尋ねたと伝えています。「先生、何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」
ごミサにお集まりの皆さんは、すでにこの問いの答えをご存知です。「永遠のいのち」とは、「死に打ち勝ったいのち」であり「死を越えて神の国にわたしたちを生まれさせ・生かすいのち」です。それは、死に打ち勝って復活された「主キリストのいのち」以外にはあり得ません。したがって、「永遠のいのちを受け継ぐ」、それは、「主キリストのいのち、すなわち聖霊をいただく」ことです。福音とご聖体において。今、皆さんが信仰によって与っているごミサこそ、その答えです。
ところで、今日の律法の専門家とは、ファリサイ派と同様に、当時「律法、つまり神のことば」の教師を自認していた人々です。その彼に主キリストは、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と問い返されました。
ここで「律法には何と書いてあるか」と言う主キリストの第一の問いと、「あなたはそれをどう読んでいるか」と言う第二の問いはまったく異なったレベルの問いです。日本語にも「身読(我が身を以って読む)」という表現がありますが、「あなたは律法・神のみことばをどう読んでいるか」との第二の問いは、その人の信仰、すなわち主なる神に対する生き方を問う問いだからです。つまり、「あなたは、神のみことばを真にあなたを活かす命としていただいているか」という問いです。
この律法学者は、主キリストの第一の問いには正確に応えています。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』と、(律法に書いて)あります。」主は、第一の問いに正しく答えた律法学者に、「正しい答えだ」と仰せになられた上で、「それを実行しなさい」。つまり、「神のみことばをあなたの命としていただき、そのみことばに生かされて行きなさい」、「そうすれば命が得られる」、と。
「あなたは神のみことばから真に命をいただいているか」と主キリストは律法学者に問われました。神のみことばに聞くとは、律法学者たちがするように「神のことば」を上手に解釈し適用することではなく、神からわたしを生かす命をいただくことです。しかもこの時、彼は、みことばなる神・主キリストご自身の御前に立っているのです。この方にお聞きすればよいのです。この主から命をいただけばよいのです。
それにもかかわらず、主なる神キリストのみ前に「自分を正当化しようとして『では、わたしの隣人とはだれですか』」と問い返した律法学者に応えて、主がお語りになられたのが、いわゆる「良いサマリア人のたとえ」です。たとえの内容は明快です。その上で主は彼に、「さて、あなたはこの三人(祭司、レビ人、サマリア人)の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と問われました。
主キリストは彼に、さらに主のみ前に立つ「追いはぎに襲われ、半殺しにされていた」他でも無いわたしたちすべてに、誰が真の「隣人」になってくれるのか、誰が命を与えてくれるのか、と問い掛けておられるのです。もちろん、それは、主キリストです。主だけが、「追いはぎに襲われて半殺しになっているこのわたし」の「良いサマリア人」、さらには「良いサマリア人」に優って、わたしの真の「隣人」となり、わたしにご自身のいのちをさえ与えて、わたしを生かしてくださる方だからです。
「神のみことばにお聞きすることは、神から命をいただくこと」、と申しました。事実、受肉されたみことばである主キリストにとって、みことばをお語りになられることと、ご自身のいのちを裂いてわたしたちにお与えくださることは、同じ一つのことです。そうであればわたしたちが主にお聞きするみことば、主からいただく命とは、みことばなる主キリストご自身です。それは、ごミサにおいて明らかです。福音に聞くこととご聖体をいただくことは、明らかに二つで一つのことだからです。
今、倒れて命尽きんとしていたこのわたしにご自身のいのちを与え、生き返らせてくださるためにわたしの「隣人」となってくださった「永遠のいのち主キリスト」を、福音とご聖体においてわたしの命としていただく。そのようにみことばに聞かせていただき、みことばなる主をわたしの命としていただきます。それがごミサです。
その時、主キリストのいのちである「聖霊」がわたしの内に働き、わたしを用いて主のみ業を行ってくださいます。「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラテヤ2:20)。わたしの内に生きて働かれる主が、次には、このわたしを、助けの必要な人の「隣人」とさせてくださいます。主のいのちである聖霊をいただいて「行って、あなたも同じように行いなさい。」
父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。