カトリック上福岡教会

説教

年間第13主日(C年 2022/6/26)

ルカ9:51−62

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。」福音は、エルサレムへの主キリストの最期の旅の始めを、このように語っていました。実はルカは、今日の福音の出来事の直前に、主がエルサレムに上られるに先立っての非常に大切な出来事として、「主の山上の変容」を伝えています。

「主キリストの山上の変容」。その日、主キリストは、ペトロとヨハネとヤコブの三人の弟子を連れて「祈るために山に登られた」とルカは語り始め、続けて、「祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。」 さらにその時、弟子たちは、「これはわたしの子、選ばれた者、これに聞け」との「天からの声」を聞いたとも、ルカは伝えていました。

主キリストは、ペトロたちに、ご自分が父なる神の御子であられることを、ご自身の変容をもってはっきりとお示しになられました。また、「天からの声」、すなわち父なる神ご自身も、御子の真実を明確にペトロたちにお伝えになられました。

山上での「主キリストの変容」が、エルサレムでの「主ご自身の過越」を真っ直ぐに指し示していることは、先にルカがその際に、「モーセとエリヤが、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた」と語った最期と訳された言葉が、元来は過越(エクソドス)と言う言葉であること、さらに「主の変容」の前、および後に、主がご自身の「過越」すなわち「十字架と復活」を、三度くり返して弟子たちに予告しておられることからも明らかです。すなわち、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する。」

わたしたちすべてを創造し、支配される天の父なる神。その御子キリストが、十字架にお就きになられる。ここに驚くべき、神の救いの秘義が明らかにされました。

ただしルカは「主の変容」の直後に、主キリストの弟子たちが、主の十字架と復活のくり返された予告を片方でお聞きしながら、もう片方で彼らの内「だれがいちばん偉いかと議論し合っていた」と伝えています。にわかに信じがたいことです。

弟子たちには、山上で示された神の御子キリストの栄光に輝く御姿と、その御子によって予告された主ご自身の凄惨な十字架上の死とが、どうしても結びつかなかったのでしょう。主から十字架と復活の予告を聞かされた時、「弟子たちはその言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった」と、福音は正直に伝えています。

主キリストの十字架と復活は、弟子たちにとって人の知恵で理解できることではなく、神への畏れと謙遜と聖霊の導きによってのみ、信じさせていただき得ることです。その彼らに主は、「あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉いものである」と諭されました。マルコは、「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」との主のみことばを伝えています。

それにもかかわらず今日の福音は、主キリストのエルサレムへの旅の途上、彼らがサマリア人の村で人々から歓迎されなかった時、弟子のヤコブとヨハネは主に、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と、傲慢かつ、まったく見当外れのことを主に求めた時、「イエスは振り向いて二人を戒められた」と、伝えていました。この時の主の胸中はいかばかりであったかと思います。

さらに、今日の福音は、主キリストから「わたしに従いなさい」とのおことばをいただきながら、ある人は「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」、別の人は「まず家族にいとまごいに行かせてください」と応えたと伝えていました。「天に上げられる時が近づき、エルサレムへ上られる決意を固められた」主キリスト。しかしその主のお心に自分たちの心がついて行かない弟子たちとの対比が鮮やかです。その時主は、彼らに「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい」、あるいは「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と、仰せになられました。

「主の変容」の後、主キリストは弟子たちとともにエルサレムに上る旅を始められました。その四十日後にエルサレムで、弟子たちは「主との最後の晩餐」すなわち「主の過越の食卓」において、主ご自身から約束の地である「神の国」を示されます。

ただしそれは、主キリストの旅に伴い、旅の終わりエルサレムでの主の十字架と復活を通してのみ招き入れられる「神の国」です。そこで「神の国の食卓」に備えられ、わたしたちに与えられる「永遠のいのちの糧」が、実は「キリストのからだと血」であることが、今、このごミサで主キリストご自身によって明らかにされます。

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

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