カトリック上福岡教会

説教

四旬節第5主日(C年 2022/4/3)

ヨハネ8:1−11

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」神殿で教えておられた主キリストの前に、律法学者によって姦通の罪を指弾されて連れて来られた一人の女性に語られた、主のおことばです。

ヨハネによる福音はこの時の様子を、じつに印象深く伝えていました。律法の教師であった律法学者やファリサイ派の人々は、その時、この女性を主キリストの前に引き出し、「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか」と、主に詰め寄りました。

彼らの言葉が悪意に満ちたものであったことは、福音が続けて「イエスを試して訴える口実を得るために、こう言ったのである」と伝える通りです。執拗にくり返される彼らの詰問に、主キリストは次のようにお答えになりました。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい。」

主キリストのこのおことばに、最前まで勢い込んでいた律法学者たちも、「これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。」その時、主はこの女性に言われました。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」この主の問いかけにその女性が、「主よ、誰も」と答えたとき、主がこの女性にお語りになられたのが、冒頭に引用した主のおことばでした。

ここで注意しておきたいことがあります。ヨハネによる福音はこの出来事を、第7章から第10章前半にかけて伝えられる、当時のユダヤ人の「仮庵祭」を背景に物語っていることです。ユダヤの「仮庵祭」とは、神の民イスラエルの出エジプトを記念し祝う「過越祭」(「種入れぬパンの祭」)、さらに、その50日後にモーセがシナイ山で律法を受けたことを記念する「五旬祭」(「七週の祭」)と並んで、当時のユダヤ人のエルサレム神殿への三大巡礼祭の一つとされていました。

とくにユダヤ暦の一年の最後、秋の穀物・油・ぶどう等の収穫後に七日間祝われる「仮庵祭」は、「収穫感謝祭」(出エジプト記23:16)とも呼ばれ、一年で最も盛大な祭りであったとも言われています。ただし「仮庵祭」は、信仰においては、神の民の出エジプト後の荒野の旅の間、「神が民を仮庵(幕屋)に住まわせた」(レビ記23:42−43)こと、またこの間、神ご自身も「仮庵(臨在の幕屋)」に住まわれた(出33:7−11)ことを、感謝して想起するための祭儀でした。

したがって、「仮庵祭」の祭儀の中心は主なる神の記念です。荒野の旅の間、民の「唯一の牧者」として、ご自身も「幕屋」にあって民の旅に伴われ、昼には水も無く、夜には光とて無い荒野で、民のためにご自身が「活ける水」となり、「まことの光」となってくださった神の記念と感謝が祭りの中心です。この同じ仮庵祭を背景に、主キリストが人々にご自身を、「活ける水」・「まことの光」として、さらに、「良い羊飼い(牧者)」としてお示しくださるのも、理由のあることです。

それにしても、民の荒野の旅が40年の長きにわたったのはなぜでしょうか。聖書によればそれは、神の民によってくり返された、「良き牧者」なる神への忘恩と不従順、すなわち民の罪の結果とされています。神は、そのような民であるにもかかわらず、最後までこの民をお見捨てになることなく、言葉に尽くせない忍耐と大きすぎる犠牲をも顧みず、民を「約束の地」に導き入れてくださいました。この神に対する懺悔と感謝こそ、「仮庵祭」の祭儀の中心であるはずです。

そのような、エルサレム神殿の「仮庵」の祭りの最中、自らの罪と不従順の懺悔も、そのような罪人である彼らを赦してくださった神への感謝をもことごとく忘れ果てた上、事もあろうにその祭りのただ中で、罪を犯したと言われる一人のまったく無力な女性を主キリストの前に引き出し、主に罪の裁きを厳しく求めるという律法学者の行為の異様さ、彼らの異常な身勝手さが際立っています。

主キリストは、そのような彼らの前で、「かがみ込まれた」と福音は伝えています。その時主は、律法学者たちの前で、屈み込まざるを得ないほどに、彼らのことを深く悲しまれたのです。主から罪の赦しと憐れみを受けるべきであるのは、「罪を犯した女性」以上に、「仮庵祭」と言う神への懺悔と感謝の特別な時にさえ、主のみ前に自らを義とし、人を罪に定めて平然としている律法学者たちこそ、だからです。しかも、彼らはそのことに気付いていません。

主キリストは罪の女性のため以上に、むしろ彼らのためにこそ十字架を負われるのではないでしょうか。次の主日、主は終にエルサレムにお入りになられます。

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

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