カトリック上福岡教会

説教

年間第5主日(C年 2022/2/6)

ルカ5:1−11

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」

主キリストは、このおことばをもって、ペトロをご自身の弟子とされました。

主キリストの福音宣教。わたしたちにとって、それはいかなることなのでしょうか。主から、神の国についてお聞かせいただいたというような他人ごとのようなことではないはずです。主の福音宣教とは、主がわたしたち一人ひとりを召し出し、主とともに主に仕えて生きる者、すなわち主ご自身の弟子としてくださったという、わたしたち一人ひとりの現在の身の事実となっている出来事ではないでしょうか。

マルコによる福音は、主キリストの福音宣教とは、具体的に「十二使徒」たちの召し出しであり、それは「彼らを自分のそばに置くため」(3:14)であったと伝えています。

実はその後、主キリストは、ペトロたち十二人に加え、さらに72人を召し出され、彼らすべてを、「聖霊」によって養い、主ご自身を中心とした交わり、すなわち主のからだなる「主の教会」へと育てて行かれます。その主の教会が、やがて主の福音宣教を担うものとして用いられて行きます。マルコは、続けます。「また、(主は、彼らを)派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。」(3:14)

ところで、主キリストの福音宣教の始めに、主の最初の弟子とされたシモン・ペトロの召し出しを伝えていた今日のルカによる福音は、冒頭の、「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」との主のおことばに応えて、ペトロは、彼の漁の仲間であったヤコブとヨハネとともに、「舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った」と、伝えていました。

ただし、主キリストがペトロにお会いになられたのは、この時が初めてではありませんでした。今日の福音の直前に、同じルカによる福音は、ペトロの召し出しに先立ち、すでに主はペトロの家を訪ねておられたことを伝えていたのです。それは、ペトロの姑が高熱で生死の境をさまよっていた時のことでした。「会堂を立ち去り、シモンの家にお入りにな」られた主が、ペトロの姑の「枕元に立って熱を叱りつけられると、熱は去り、彼女はすぐに起き上がって一同をもてなした。」

その時のペトロ自身の様子を、福音は特に伝えていません。しかし、この時ペトロは主キリストの傍らで、主がペトロの姑になさったことの一切を、主に対する畏れと身震いするような感動をもって見守っていたに違いありません。

同時に、福音が、主キリストによるペトロの姑の癒しに続けて語っていたように、彼はこの方こそ、常に「悪霊」に怯えて暮らしているような彼らの生活から「悪霊を追い出す」権威をお持ちになる唯一の方、すなわち主こそ父なる神が「聖霊」において働かれる方であられることをはっきりと認めたに違いありません。

加えて、その時の彼の姑の姿も、ペトロの目に焼き付いて離れなかったと思います。彼女は、主キリストによって癒された後、「すぐに起きあがって一同をもてなした。」主のご訪問を受けた者が、病と死から解き放たれるや、「主に仕えて」生き始めた。彼自身の家で、主に出会ったペトロはこの時、主の招きに応えて生きる、彼自身の新しいいのちの予感に胸が熱くなったのではないでしょうか。

今日の福音は、すでにペトロの家に彼の姑を訪った主キリストが、ふたたび、しかし今度は、明らかにペトロ自身を訪ねてくださった時のことを伝えていました。ゲネサレト湖畔に集まった群衆に説教されるに際し、主は、ペトロに親しみを込めて、「シモンの持ち船に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みにな」られ、「話し終わった時、シモンに『沖に漕ぎ出し漁をしなさい』と言われた。」

彼の姑の癒しの後、主キリストに仕えて生きることこそ彼の心からの願いであることが、すでにペトロには明確であったはずです。そして今、主はその彼を、「湖の奇跡」をもって、主の弟子として生きる新しい命へと召し出されたのです。しかし、ここに深刻な問題が自覚されます。それは彼の罪です。ペトロは、主に召し出された時、「イエスの足もとにひれ伏して、『主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです』」と、哀願せざるを得ませんでした。心から主に仕えて生きたいと願うペトロ。しかしそれに全くふさわしくない自分ゆえに、彼は主を心から畏れたのです。しかしだからこそ、主キリストは、彼を弟子とされました。

主キリストは、ペトロに言われました。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」ペトロは、この主キリストに「すべてを捨てて従った」。ペトロの召し出し。これこそ、ペトロにとっての主キリストの福音宣教です。そして、それはわたしたち一人ひとりにとってもまったく同様ではないでしょうか。

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

ゆりのイラスト

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