説教
年間第6主日(C年 2022/2/13)
ルカ6:17、20−26
父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。
今日の福音は、ルカが伝える主キリストの「説教(垂訓)」冒頭の主の祝福のおことばです。興味深いことに、マタイの並行箇所では、主は「山に登り」、祝福のおことばに始まる説教をされますが、ルカでは「山から下りて」とされています。
カトリック教会は、福音の伝える主キリストの祝福のおことばを(マタイの並行箇所から)、古来11月1日の「諸聖人の祭日」にお聞きしてきました。11世紀から、列聖された聖人方を11月1日、他の帰天されたすべての方々を11月2日に分けて記念する習慣になりましたが、古くは、列聖の有無を問わず、11月2日を「神のすべての聖人方の日」とし、この一日で帰天されたすべて信仰の先輩方を記念していました。
ここで、「神のすべての聖人方」という時の「聖」とは、いかなることなのでしょうか。聖書では、「聖」である方は、神お一人です。主キリストお一人です。このことははっきりしています。そうであれば、「聖人」とは、自ら生まれながらに聖い人というのではなく、主の「みことば」と「聖霊」を受け、神によって「聖くされた人」のことです。
「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。
今飢えている人々は、幸いである。あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである。あなたがたは笑うようになる。」
「貧しい人々は、幸いである」と、主キリストは仰せです。「貧しい人々」とは、主が「あなたがた」とよばれるように、主の他に頼る方が誰もいないわたしたち自身です。「神の国」を望んで、わたしたちは主の外には誰も頼ることができません。そのわたしたちに、主は、ご自身の「神の国」を約束されます。これが、主の祝福です。
「幸いである」との主キリストのおことばから明確に、主のおことばは、わたしたちへの主の祝福です。ご自身「聖」にして、わたしたちすべてを「聖とする」ことがおできになる神からの祝福です。わたしたちが「聖とされ、神の国を約束されること」。それが、わたしたちの真の幸いであり、主キリストから祝福されるということです。
わたしたちが主キリストによって「聖とされ、神の国を約束される」。それは、わたしたちが「神の国の主キリストのもの(キリスト者)とされる」ことです。それを使徒ヨハネは、「御子キリストに似た者となる」(1ヨハネ3:2)と教えていました。わたしたちが「聖とされ、神の国を約束される」、主から祝福されるとは「御子キリストに似た者とされる」こと。主に祝福され「聖くされた」方々こそ、「主に似た者とされた方々」。
その祝福を、主キリストは「祝福のみことば」とその祝福をわたしたちの内に成就させてくださる「聖霊」によって、わたしたちにお与えくださいます。「聖霊」は、主の「みことば」とともに働いて、わたしたちに「イエスは主である」と告白させてくださいました。「みことばとともに働かれる聖霊」こそ、洗礼においてわたしたちを新たに生まれさせ、ごミサで、わたしたちの捧げるパンとブドウ酒をご聖体に、すなわち主キリストご自身の御からだと御血・主ご自身のいのちに変えてくださる方です。
「みことばと聖霊」において、主キリストがわたしたちにくださるのは主ご自身です。主はご聖体においてご自身をお与えくださることによって、聖霊によってわたしたちを「聖」とし、「キリストに似た者」としてくださる。それが主の祝福です。主こそ、祝福そのものだからです。わたしたちの信仰の先輩方・神に仕えたすべての聖人方は、主ご自身を祝福として受け、「主キリストの似姿に変えられた」方々です。
今、わたしたちもこのごミサで、天に帰られた彼らがかつてそう祈り願ったように、「主よ、わたしたちにみことばをください」と、主に願います。主キリストは、わたしたちにも必ず「みことば」とともに「聖霊」を、すなわち主ご自身をくださいます。主はわたしたちにも、ご聖体において、主ご自身を祝福としてお与えくださいます。「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたものである」と、主は仰せです。
わたしたちは、天に帰られた方々に比してはるかに劣る者かも知れません。しかし、主キリストがご聖体においてわたしたちにお与えくださる主ご自身は、かつて、信仰の先輩たちを聖(きよ)くされた主とまったく同じ方です。主は今も、いつも、代々に、一人なる同じ主であられるからです。わたしたちのような小さな者にさえ、ご自身そのものをお与えくださる主キリスト。その恵み故に、主を心から畏れます。
天に帰られた聖人方は、今や天で主キリストとともに、地上でごミサが先取りしていた「神の国の食卓」に着き、主のみ前に一心に主を褒め、主を称えていると信じられています。ご自身を祝福としてわたしたちにお与えくださった主への愛と感謝は、地上での制約されたわたしたちの思いを遥かに超えるでありましょう。天に帰られたすべての聖人方は、このことをいちばんよく知っておられるに違いありません。
父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。