カトリック上福岡教会

説教

年間第28主日(C年 2022/10/9)

ルカ17:11−19

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

「立ちあがって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」主キリストは、重い皮膚病から癒されたサマリア人にこのように仰せになりました。

この出来事を伝える今日の福音は、「イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた」と語り始めていました。「サマリアとガリラヤの間」とは、当時ユダヤ人が忌み嫌ったデカポリスと呼ばれていた地域の一部で、彼らがエルサレムに上る際には避けて通った土地でした。したがってエルサレムに向かう最後の旅の途上、主キリストは意図的にその地をお通りになられたのは明らかです。

実はそこは、ユダヤの村々から忌避され追放された、重い病を患った人々が多く住みついていた地域でもありました。その地域のある村で、主キリストは、当時、病の中でも人々に最も忌み嫌われた重い皮膚病を患っていた10人の人々の「出迎え」を受けられました。ただし彼らは、主のもとに駆け寄ることをせず、「遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、『イエスさま、わたしたちを憐れんでください』」と主に叫び求めた、と福音は伝えていました。

主キリストはその彼らの許に行き、彼らが重い皮膚病を患っているのを見、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」とお命じになりました。当時その病を患っている人々は汚れているとみなされており、病が癒されるまでユダヤの村に入ることは律法によって禁じられていました。そして、彼らの病の癒しの確認、したがって彼らのユダヤの村への帰還の許可は、祭司たちの判断に委ねられていました。

彼らが、主キリストのおことばに従って祭司たちを訪ねようとした道の「途中で(彼らは)清くされた」、つまり、重い皮膚病から癒されました。その後、彼ら「10人の中の一人」が、「大声で神を賛美しながら、(主の許に)戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した」、と福音は伝えていました。

ただし、その人はユダヤ人ではなく、彼らから異邦人と蔑まれていたサマリア人でした。実はその当時、異邦人の間にもイスラエルの神を信じ、エルサレムの神殿に詣で、主を礼拝する多くの人々がいました。そのためエルサレム神殿の中に、彼らのために「異邦人の庭」と呼ばれる場所が用意されていました。このサマリア人もそのような異邦人の一人だったのでしょう。彼が、病癒されてユダヤの地に入ることを切に願ったのもひとえに神殿に詣でたいがゆえであったと思います。

サマリア人の彼は、まことの神をひたすら求めながらも、異邦人の彼が神の恵みをいただくのは決して当然のことではないと思っていたと思います。その彼にとって、主キリストによって救われた喜びはひとしおであったに違いありません。主は、「清くされたのは10人ではなかったか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻ってきた者はいないのか」と言われた上で、そのサマリア人に仰せでした。

「立ちあがって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

ルカによる福音は、「あなたの信仰があなたを救った」との主キリストの同じおことばを、後にも伝えています。それは、主がエルサレムに入られる直前のエリコの町で、「目が見えるようになりたいのです」との盲目の人の求めに応えて、主が彼の目を開いてくださった時のことです。主は、この人に言われました。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」(ルカ18:42)ただしこの時、主はこの盲人の目を誰に向けて開かれたのでしょうか。

エリコの盲目の人のように、重い皮膚病を患っていたサマリア人も、ユダヤ人から異邦人と蔑まれながらも、目に見えない神を信じ、その神によって救われることを祈り願い、待ち望んでいた長い年月があったと思います。主キリストは、彼の祈りに応えて、彼の目を神なる主ご自身に向けて開かれたのです。彼のために、ユダヤ人が避けて通る「ガリラヤとサマリアの間」を通ることまでされて。

その時、この異邦人は、彼を訪ねてくださった主キリストの内に、救い主なる真にして唯一の神にお会いしたのです。目に見えない神に対する彼の「信仰」によって、今や、まことの神・主キリストご自身に向けて彼の「目が開かれた」のです。

「信仰」とは、漠然と神の存在を信じているということではありません。「信仰」とは、わたしたちの「目」が主キリストに対して開かれることです。主キリストを真にして救い主なる神として、わたしたちの目にはっきりと見させていただくこと。つまり、「信仰」とは、主キリストに出会わせていただくことです。むしろ、神なる主キリストがわたしたちにお会いくださることです。それは「聖霊」の働きです。「信仰」とは、聖霊におけるご復活の主キリストとの出会いです。ミサこそ、わたしたちの「信仰」です。

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

ゆりのイラスト

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