カトリック上福岡教会

説教

聖母の訪問(B年 2021/5/31)

ルカ1:39−56

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたくしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。」

聖霊によって主キリストを宿された聖母マリアさまのご訪問をうけた聖母さまの親族エリサベト。ご自身も後の洗礼者ヨハネをその胎に宿された彼女は、「聖霊に満たされて」、喜びに溢れて聖母マリアさまに語りかけておられました。

東西の教会の歴史の中で、すでに古代から記念されてきた聖母さまのエリサベトご訪問の祝日が、第2バチカン公会議後の典礼刷新で、聖書の記述に即して、神のお告げの祭日(3月25日)と洗礼者ヨハネの誕生の祭日(6月24日)の間で、聖母さまの月である5月の最後の日に祝われるように定められました。

5月31日、聖母さまの月の締めくくりに、今一度、福音によってマリアさまを思い起こさせていただき、聖霊によって主を宿された聖母さまに感謝を捧げることは、まことに相応しいことと思います。わたしたちは聖母マリアを通してのみ、神の御子キリストをお迎えることをゆるされるのですから。また、聖母さま無しに、主の御からだと御血に与るごミサをお祝いさせていただくことはできないのですから。

さて、エリサベツの「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」との言葉に応えて、聖母マリアさまは、後に「マリアの賛歌」と呼ばれ、現在に至るまで、世界中の教会の「晩の祈り」の中で歌われ続けている神への賛美の歌を、次のように歌い始めておられました。

「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」

聖霊によって神の御子キリストを宿された聖母マリアさまの御からだの内から込み上げて来る喜びとともに歌われた「マリアの賛歌」。マリアさまの主なる神への感謝と賛美には、はっきりとその理由がありました。

「身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったから」。さらに、「力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから」

そして父なる神が聖母マリさまになさった、つまり聖母さまへの御子キリストの御宿りが、聖母マリアさまをお用いになられての、わたしたちすべてに対する神の憐れみの御計画であることに、マリアさまは、はっきりと気づいておられたはずです。主キリストのいのちの胎動を御身に確かめられつつ。

全能の創造主であられる神は、ご自身でお語りになられた「みことば」を、そのお語りになられた通りに実現し、事実とすることがお出来になられます。神はそのみ力を以って、「すべて」の者にまったく差別なく、ご自身でお語りになられた「みことば」をわたしたちの身の事実として実現して行かれることがお出来になられます。

神はそのようにして、ご自身の愛をわたしたちすべての内に実を結ばせてくださいます。ただし、聖母マリアさまを通して、御子キリストによって。

そのことをはっきりと御身に知らされた聖母マリアさまは、「小さなはしため」である御自らの内にすべての者を愛される「大いなる神」の愛を、そのために神の御子キリストの母とされたことへの神への心からなる感謝と賛美を歌い続けられます。

「その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。
主はその腕で力を振るい、思いあがる者を打ち散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。」

主キリストを宿された聖母さまは、ご自身におけるすべての民への神の救いの約束の成就に、こころとからだを打ち震わせるように神への賛美を歌い上げます。

「その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをおわすれになりません。
わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」

聖母マリアさまは、はっきりと知っておられます。神の恵みを身に宿させていただく条件は、ただ一つであることを。それは、「神を畏れる」こと。「神を畏れる」がゆえに、人の思いを遥かに超えた神の恵みを身に宿させていただいた聖母マリアさま。主の憐れみによって、今日、わたしたちも、主のみ前に神を畏れる者とさせていただけますようにと心から願います。聖母マリアさまのお取次ぎを信じて。

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

ゆりのイラスト

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