カトリック上福岡教会

説教

教会の母聖マリア(聖霊降臨の主日後月曜日)(B年 2021/5/24)

ヨハネ19:25−34

父と子と聖霊の聖名によって。 アーメン。

聖霊降臨の主日後月曜日の今日、カトリック教会は「教会の母聖マリアの祝日」を祝います。聖母マリアさまを公文書において「教会の御母」としてお呼びした先例は、すでに18世紀のベネディクト14世教皇、また19世のレオ13世教皇にみられますが、マリアさまを「教会の御母」として公に宣言されたのは、1964年11月21日の第2バチカン公会議第3会期閉会でのパウロ6世教皇でした。教皇ヨハネ23世を継いで聖霊による刷新を求める教会の公会議を導かれたパウロ6世教皇さまが、マリアさまを「教会の御母」として讃仰し、教会にマリアさまのお取次ぎを求められたのは誠に時宜にかなうことであったと思います。

パウロ6世教皇の意を受けて、ルルドでのおとめマリアさまの最初の御出現から160年を記念する2018年の「ルルドの聖母の祝日」2月11日付の「教令」により「教会の母聖マリア」の記念日を一般ローマ歴に加え、「通達」をもって聖霊降臨の主日に続く月曜日を、「教会の母聖マリア」の祝日として祝うように定めてくださったのは、フランシスコ教皇さまです。その際の「教令の解説」には、次のように記されました。

「「教会の母聖マリアの祝日」は、すべてのキリストの弟子たちに、次のことを思い起こさせるであろう。すなわち、神の愛によって成長し満たされることを望むなら、わたしたちの生活を三つの偉大な現実、すなわち、十字架と聖体と神の母の上にしっかりと据える必要があるということである。これらは、わたしたちの内的いのちを形づくり、実を結ばせ、聖化し、わたしたちをイエスへと導くために神からこの世界に与えられた三つの神秘である。この三つの神秘は、沈黙の内に観想されなければならないのである。」

ヨハネによる福音は、主キリストが、十字架上で母マリアさまに愛する弟子を委ね、また愛する弟子に母マリアさまを委ねられたことを伝えた後、次のように記します。

「その後、イエズスは、もはやすべてが成し遂げられたことを知って仰せになった、『渇く』。こうして、聖書の言葉は成就した。」

ここで「もはやすべてが成し遂げられた」とのことが、「こうして、聖書の言葉は成就した」と言い換えられているように、「すべて」とは、神のみことばすなわち御子キリストをこの世に遣わされ、しかも十字架において成就しようとされた、わたしたちすべてに対する神の救いの御業です。そしてそれは、主キリストが未だ待望されていた「旧約」の時から、主の十字架の死に至るまで、否、天地創造の始めから、終末に至る時を貫いて予め計画され、キリストの十字架において全うされた、神の救いの御業の「すべて」です。それが、「成し遂げられた」と福音は宣言します。

しかしだからこそ、福音の伝えるこの事実の直前に主キリストがなさったこと、つまり神の救いの御業の成就である主の十字架において、御子なる主ご自身が、母マリアさまに愛する弟子を委ね、愛する弟子に母マリアさまを委ねられたことの意義の重大さが際立っています。先の「教令の解説」に明示されていたように、「神の愛によって成長し満たされることを望むなら、わたしたちの生活を三つの偉大な現実、すなわち、十字架と聖体と神の母の上にしっかりと据える必要がある。」

ここで皆さんとともに思い起こしたいのは、先のベネディクト16世教皇さまの2008年1月1日「神の母聖マリア」の大祝日の翌日1月2日の第122回目の一般謁見でのご講話です。教皇さまは、使徒ヨハネが今日の福音に伝える、主キリストご自身が、十字架の上から、ご自身の母マリアさまに愛する弟子を委ね、愛する弟子に母マリアさまを委ねられたというこの事実に触れ、それは、主キリストにとって「救い主としての使命を完成する最高の瞬間」のことであったと語っておられます。

「イエスは、救い主としての使命を完成する最高の瞬間に、弟子の一人ひとりに、尊い遺産として、ご自分の母であるおとめマリアを残したのです。」

さらに、ベネディクト16世教皇さまは、主キリストの十字架上のおことばに応えて、「イエスの母を自分の家に引き取った」とされる弟子たちに触れ、「自分の家に」というのはギリシャ語では「エイス・タ・イディア」であり、その意味は「自分の存在に、自分の現実に、自分のいのちに、自分の生活に」の意であることを指摘されたうえで、したがって、弟子たちは、十字架の主からのおことばを受けた「この時から、自分の存在に、自分のいのちに母である方を受け入れた」のであり、「こうして母である方は弟子のいのちの一部となり、二つのいのちは浸透し合います」とし、実は、「これこそ弟子たちに対する主の遺言だったのです」と結んでいます。

先の教皇さまらしい学問的に厳密な読みに支えられ、同時にわたしたちの心を打つおことばです。確かに「主の遺言」は、「沈黙の内に観想されなければなりません」。

父と子と聖霊の聖名によって。 アーメン。

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