カトリック上福岡教会

説教

主の昇天(復活節第7週)(B年 2021/5/16)

マルコ16:15−20

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

今日、わたしたちは、主キリストの弟子たちとともに、「天に上げられ、神の右の座に着かれる」主の証人とされるために、このごミサに集っています。

マルコによる福音は、ご復活の主キリストがご昇天を前にして、ペトロたち十一人の弟子たちにお命じになられた大切なおことばを伝えてくれていました。

「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」

マルコはその生涯を、使徒ペトロの弟子として誠実に生きました。したがって、マルコによる福音書は、ペトロが、マルコに直々に伝えたに相違ない主キリストのおことばに基づき、師であるペトロの教えに忠実に記録されたと信じられています。

そうであれば、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」との、主キリストのペトロたちへの世界宣教のご命令も、マルコがペトロの口から直接聞かされた主ご自身のおことばであったに違いありません。

ペトロは主キリストのおことばをマルコに語る時、いかなる思いだったのでしょうか。

恐らく、ペトロはその時、このおことばを主キリストご自身からご昇天の直前に聞かされた時の、彼の身の竦(すく)むような畏れと、さらには十字架の際に一度は主を捨てさえした彼に対しての主のまったく変わらぬ真実と信頼に、深い懺悔と抑えきれぬ感謝の思いが、溢れる涙と共に込み上げて来たのではなかったでしょうか。

ペトロから、主キリストのこの宣教のご命令のおことばを聞かされたマルコも、それを語るペトロの決意と情熱に圧倒されたに違いありません。マルコのその時の感動が、後に彼に福音書を執筆させる動機と力となったのかもしれません。

さらに、後にマルコ自身、ローマで宣教し殉教した師であるペトロに習って、主キリストの宣教のご命令に従い、自らアレキサンドリアに宣教し、使徒ペトロのローマ使徒座に一致して、コンスタンティノープル、アンティオキア、エルサレムと共に初代教会の五大司教区の一つとなる当地の教会の建設に献身しました。

さて、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」と、「ご復活の主は、弟子たちに話した後」と、マルコは今日の福音で、さらに、ご昇天の主キリストについて、大切な二つのことをわたしたちに語ってくれています。

第一に、「主は天に上げられ、神の右の座に着かれた」、ということです。ご復活の後四十日の間、ペトロたち多くの弟子たちと共に地上に留まってくださったご復活の主キリストは、その後、「弟子たちの見ているうちに天に上げられ」ました。それは、「天の父なる神の右の座に着かれる」ためでした。

「父なる神の右の座に着かれた」とは、父なる神と権威と力とを完全に一つにされたのみならず、父なる神の権威と力を行使することがおできになる唯一の方となられた、と言うことです。言い換えれば、今後、神の権威もその力も、御子キリストを通して、そして御子を通してのみ現わされる、と言うことです。

第二には、主キリストのご命令を受けて、文字通り全世界に「出かけて行って、至るところで宣教した弟子たちと、主は共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった」、ということです。

ご復活の主キリストは、弟子たちに全世界への宣教を託されて、ご自分は帰天されたというのではありません。ご昇天後も地上で彼らと一緒に働いてくださる。目に見えない聖霊において。しかしそれは、目に見えるしるしを伴って、と主は仰せです。

マルコが伝えるこれら二つのことは、共に同じ主なる神キリストのみ業です。したがって、「全世界に出て行って宣教する弟子たちと共に働かれる主」は、「天に上げられて、神の右の座に着かれたキリスト」ご自身に他なりません。

弟子たちを用いて働かれる、弟子たちを通して語られる方は、主キリストご自身です。彼らを用いての主の宣教は、天の父なる神の権威と力によるみ業。そして神は、無から有を生み出すことがおできになる。それこそが目に見える確実なしるしです。

弟子たちを通して語られる主キリストのみことばは、常に真実です。今や天の父なる神の右に座し、神から全権を託された主は、そのみことばによってすべてを創造することがおできになるからです弟子たちへの主の宣教のご命令。それはわたしたちを用いて働かれる、聖霊によるご復活の主キリストの新しい創造のみ業です。

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

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