説教
待降節第一主日(C年 2021/11/28)
ルカ21:25−28、34−36
父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。
待降節を迎えました。この時期、教会の外では、すでにクリスマスの飾りつけも華やかです。しかし、カトリック教会では、伝統的にクリスマスの飾りつけは、待降節の終わる12月24日のクリスマス・イブの日没前に行います。その後、降誕日・クリスマス夜半のミサを祝い、その時から、新年を挟んで、1月6日の主キリストの公現日までの12日間を、クリスマスの祝いの時として過します。
待降節の間は、祭色の「紫」が示し、ミサ中「栄光の賛歌」を歌わないように、つつしみの期間です。日本ではこの4週間を「待降節」と呼びます。主キリストのご降誕を「待つ時」です。しかし元来のラテン語「アドベント」は、主が「来られる」と、主を主語に理解します。わたしたちのもとに必ず来てくださるとの主の確かなお約束を信じ、喜びと期待の中にも謙遜と神への畏れの内に、来り給う主のみ前に立つことをゆるされるように祈りを整える時が、待降節・アドベントです。
待降節第1主日の福音に相応しく、主キリストは、「あなたがたは、人の子(すなわち主)の前に立つことができるようにいつも目を覚まして祈りなさい」と仰せでした。
実はこれは、ルカによる福音が第21章に伝える、主キリストの「終末預言」と言われる主の説教の結びのおことばです。主は、わたしたちに「目を覚まして祈っていなさい」と、お求めになっておられました。「終わりの時」、すなわち主が来られる時、わたしたちが「人の子(すなわち主)の前に立つことができるように」。
聖書において「終末」とは、たんに「世の終わり」を意味しません。天地の創造主・歴史の支配者である天の父なる神が、神の遣わされる御子キリストにおいて、決定的な仕方で、また、目に見えるお姿で、歴史に介入されることです。
「終末」とは、したがって、父なる神が、御子キリストによって「古い時を終らせ」、「新しい時をお始めになられる」特別な時です。「終末」という「神の時」の中心に立っておられるのは、主キリストです。この方を見失ってはなりません。
それにしても、「あなたがたは、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい」との、今日の主のみことばは、わたしたちにゲッセマネの主キリストを思い起こさせます。そこで、主は弟子たちに仰せになりました。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。」(ルカ22:46、マタイ26:41)
確かに、主キリストは終末預言の中で、「終末の時」を控えて、わたしたちが経験するであろう自然災害や戦争等の「大きな苦難」を、すでに予告されていました。実際、2011年3月11日の東日本大震災以来、日本を襲った度重なる災害に加えて、すでに二年におよぶ新型コロナウイルスの世界的蔓延、さらには緊張感を増す日本と東アジア諸国との摩擦等、「終末のしるし」を巡っての話題は尽きません。
しかし主キリストは、そのような「大きな苦難」でさえ、「まだ世の終わりではない」、「産みの苦しみの始まり」であっても、「終末のしるし」ではないと、はっきり仰せです。実は、わたしたちは、人類の「最大の危機」かつ「最大の苦難」を、ゲッセマネに続く主の十字架として、すでに経験したのではなかったでしょうか。
その主キリストが、とくにマルコによる福音の終末預言で、「終末のしるし」とされたのは、「聖霊」の働きです。見えない神ご自身の見える業。「聖霊」とは、活ける主のお働きです。このことを、わたしたちは決して聞き逃してはなりません。(マルコ13章参照)
「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。」主キリストとともに祈らせていただくためです。十字架を目前に、わたしたちのためにゲッセマネで祈られた主の祈りにわたしたちも加わらせていただき、「聖霊自らが、ことばに表せない呻きを以って執り成して下さる」聖霊の執り成しに与らせていただくためです。(ローマ8:26)
「目を覚まして、祈っていなさい」、「人の子(すなわち主)の前に立つことができるように」と、主キリストは仰せです。「終末のしるし」である「聖霊の働き」は、わたしたちをしてゲッセマネに祈る主キリストのみ前に立たせ、主のみ前にわたしたちを執り成し、ゲッセマネの主キリストの祈りの内に引き入れてくださいます。
「主の時」が近づいています。待降節は、クリスマスに、ベツレヘムの馬小屋で聖母マリアさまからお生まれになる救い主キリストのみ前に立たせていただくために、祈り備えさせていただく大切な時です。後に、わたしたちは、ゲッセマネで、主の十字架の御許で、さらに主のご復活の時、同じ主のみ前に、ふたたび立たせていただく者とされるでしょう。時は近い。「しかし、あなたがたは、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい」と、主キリストは仰せです。
父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。