カトリック上福岡教会

説教

年間第18主日(A年 2020/8/2)

マタイ14:13−21

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

今日のマタイによる福音は、主キリストが「5つのパン」で5千人の人々を養われたと伝えています。いわゆる主の「パンの奇跡」です。

主キリストの「最後の晩餐」以来今日に至るまで、「最後の晩餐」での12使徒に対する「わたしの記念としてこれを行いなさい」との主のご命令に忠実に従い、司祭を立てごミサを祝い続けてきたカトリック教会は、この「パンの奇跡」を、主の「神の国の食卓」すなわち主キリストと私たちのミサの「先取り」としてお聞きして参りました。

先の三主日には、主キリストの「神の国のたとえ」からお聞きしました。「神の国の主キリスト」が在すところに「神の国」が来ています。「神の国のたとえ」は、「神の国の主キリスト」が来てくださった今、私たちは主ご自身から、「神の国」で主とともに生きる新しい命の世界に招かれているという「事実」に、目を開かせてくれました。

「神の国のたとえ」に続けて福音が「神の国の食卓」の先取りである「パンの奇跡」を語るのには訳があります。それは、主キリストが私たちを「神の国」に招いてくださったのは、実は、私たちを「神の国の食卓」に迎えてくださるためだからです。

事実、「パンの奇跡」の際、主キリストからパンを拝領した5千人の人々は、その時、「主キリストとの食事」を、地上に在りながら地上を超えた体験、すなわち「神の国の食卓」の先取りとして味わったに違いありません。「パンの奇跡」のようなことは人には不可能であり、神にのみ可能なことだからです。それは彼らにとって、神なる主キリストによる「神の国」の出来事、「神の国の祝宴」の先取りであったと思います。

確かに、主キリストによって「神の国」に招かれることは、「神の国の食卓」に招かれること以外のなにものでもない。実は、これこそ、ごミサに与る私たち一人ひとりが、ごミサ毎に体験させていただいている事実です。同時に、この事実を、私たちは身を以て知らされた以上、これまでと同じ生き方を続けることはできません。

私は、すでに英国時代のある時点で、自分の立てた人生の計画に固執することは止めました。もちろん、それは他人任せのその日暮らしになったということではありません。自分の人生を、主キリストにお委ねしたということです。否、私の人生のある時点から、私には、そうせざるを得なくなりました。なぜなら、私はある時点から、確かに私の人生には違いないのですが、その私の人生の中に、もはや私の思いや計らいを遥かに超えた神のみ手と神のみ旨を思わずにはおれなくなったからです。

日本で仏門に生まれ、英国の大学で哲学と神学を学び司祭に叙階され、長く英国の教会に仕えた後、現在日本でカトリック教会の司祭として奉仕させていただいている私ですが、私のような者をさえお用いくださる主なる神キリストのご愛と聖霊による神のみ業に、これまでの人生の中でくり返し驚嘆する経験をさせていただいて参りました。神のみ業に驚き、畏れ、賛美させていただく。そのようにして、私の人生の内に神の恵みを数えさせていただきながら生きる。いつしかそれが私の人生になりました。それが私の人生の支えともなり、また人生の目的ともなりました。

私たちには、福音の語る主キリストの「パンの奇跡」を疑う理由は、何もありません。なぜなら、私たちカトリック教会は、過去二千年、さらに現在も少なくとも司祭は毎日、主の「パンの奇跡」を体験させていただき続けているからです。否、それ以上です。教会は、福音の「パンの奇跡」が先取りして指し示していた主キリストの「神の国の食卓」そのもの、すなわちごミサを祝い続けてさせていただいているからです。

事実、「ごミサ」は「パンの奇跡」以上です。ごミサにおいては、「パンの奇跡」が先取りして示していた主キリストの「神の国」の真実そのものが成就しているからです。なぜなら、主の「パンの奇跡」と私たちのこのごミサの間に、主ご自身が私たちのために司祭職とミサ(ご聖体)の2秘跡を制定してくださった「最後の晩餐」に始められた主の過越、すなわち主の十字架と復活が、すでに全うされているからです。

確かに、「パンの奇跡」の際も、主キリストのみ手によって裂かれ、人々に与えられたパンは主のいのちそのものであったはずです。ただし、未だその時には、その真実は人々には隠されていました。しかし、ごミサでは、私たちにすべてが明らかです。

今、このごミサで、十字架と復活の主キリストご自身が、私たちを「神の国の食卓」に招いてくださっておられます。「最後の晩餐」と、続く十字架と復活で、主ご自身が、目に見える形で弟子たちになさったのとまったく同様、今、このごミサで、主は、私たちにご自身のからだを裂き、血を流し、ご自身を私たちの命の糧としてお与えくださいます。これが私たちに、今現に、ここで起こっている主キリストの新しい「パンの奇跡」すなわち「神の国の食卓の奇跡」です。ごミサこそ奇跡の中の奇跡です。

父と子と聖霊のみ名によって。   アーメン。

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