カトリック上福岡教会

説教

年間第17主日(A年 2020/7/26)

マタイ13:44−52

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

先の二週に続き、本主日の福音も、主キリストの「神の国(天の国)のたとえ」からお聞きいたします。「神の国」こそ、主キリストの福音宣教の要(かなめ)です。「神の国の主」キリストの在すところに「神の国」が来ています。「神の国」とは、「神の国の主キリスト」によってすでに私たちが体験することをゆるされている「我が身の事実」です。主は「神の国のたとえ」により、この「事実」に私たちの目を開かせ、主と心を合わせ、主に身を委ねて新しい命に生きるように私たちをお招きくださいます。

今日の福音の「神の国のたとえ」は、「神の国」に招かれた私たちに、今、主が期待されることを語ります。今、私たちは主のご期待に応えて、福音の語る「畑に隠された宝」を見つけた農夫のように、あるいは「良い真珠」を見つけた商人のように、さらには水揚げした網の内から「良いもの」を選ぶ漁師のように、決して時を逸することがあってはなりません。私たちの持てる一切に代えて、今、「神の国」に隠されている「宝」や「真珠」や「良いもの」を「手に入れ」させていただくべきです。

しかし、主キリストの「神の国」に隠されている「宝」、「真珠」あるいは「良いもの」とは何のことなのでしょうか。それは、使徒パウロが、コロサイの教会への手紙に書き記したように、「主キリストと共に神の内に隠されている私たちの命」のことではないでしょうか。パウロは、次のように記しています。

「さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたもキリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。」(コロサイ3:1−4)

主キリストが来てくださった今こそ、主ご自身の「神の国」の内に神が隠しておられる「主と共に神の内に隠された私たちの真実の命」を「手に入れさせていただく」ことが許される大切な時。この時を失うことがあってはなりません。その私たちに、今、この時、求められていることはただ一つです。主は仰せです。「出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、良い真珠を買いなさい」、あるいは「網がいっぱいになったら、岸に引き上げ、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てなさい。」

最早、過去の自分に拘泥せず「悔い改める」つまり「主と心を合わさせていただく」ことです。つまり「主が今私たちにお望みくださることを、私たち自身の望みとさせていただく」こと。それは、過去の私たちに代えて、主が今私たちに新しくお与えくださる「キリストと共に神の内に隠されている命」を感謝していただくことです。

主キリストは福音宣教の始めに、「神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じよ」と、私たちに仰せでした。「神の国の主」キリストが在すところに「神の国」は来ています。そして私たちは、主キリストによって、主ご自身の「神の国」に招かれています。その「神の国」に、主とともに生きる新しい命、新しい私、が隠されてあるのです。

この事実に目を開かれる時、私たちは主キリストへと「心を高く上げ」させていただいて良いのです。今や、過去の私は「過去」の私なのです。主が私たちに与えられる「新しい」私を求めさせていただいて良いのです。「福音」そのものである主に、私たち自身を、私たちの未来を委ねさせていただいて良いのです。なぜなら、この方こそ私たちのために十字架についてくださった主。十字架に私たちの過去を清算して、新しい命をお与えくださるために復活してくださった主ご自身です。私たちの新しい命は、主ご自身の命とともに「神の国」に隠されてあるのです。時を失ってはなりません。しかし、その新しい命を、どこで求め、どのようにしていただくのか。

マタイによる福音は第13章全体で、「神の国のたとえ」を七つ重ねて語りました。「神の国の主」キリストは、ご自身の「神の国」とそこに隠された「新しい命」に、くり返し私たちの目を開かせてくださった後、いよいよマタイ第14章に語られる「五つのパン」の出来事、つまり「パンの奇跡」へと私たちを招き入れてくださいます。「パンの奇跡」は、後の主キリストの「神の国の食卓」すなわちごミサの「先取り」です。

「神の国のたとえ」によってすでに「神の国」に招かれてあることに目を開かれた私たちは、さらに「神の国の食卓」つまりごミサに招かれます。主キリストが私たちを「神の国」に招いてくださったのは、私たちに新しい命をお与えくださるために私たちを「神の国の食卓」に招かれるためだったのです。そして、その「神の国の食卓」・ごミサには、ご聖体においてご自身を私たちにお与えくださる主ご自身がおられます。同時に、主によって新しくされる私たち自身がいます。「キリストと共に神の内に隠されている私たちの新しい命」を、今、このごミサでいただいてください。

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

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