カトリック上福岡教会

説教

キリストの聖体(年間第11週)(A年 2020/6/14)

ヨハネ6:51−58

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

今日の福音は、主キリストの「パンの奇跡」の物語の一部です。教会は、主の「パンの奇跡」を、後に十字架の前晩に主が12使徒と「最後の晩餐」で祝われ、制定された「ご聖体の秘跡」すなわちごミサ先取り(しるし)として大切にお聞きしてきました。

主キリストが、十字架の死の直前の「最後の晩餐」で、「ご聖体の秘跡」・ごミサを制定された時のことを想う度に、私には一つの言葉が脳裏をよぎります。「一期一会」。これは千利休以来の日本の茶道のこころを語ることばとして大切にされて来ました。利休自身の言葉では、「一期に一度の会」あるいは、「一期一席」ともされます。一椀のお茶をともにいただいた出会いは永遠であり、その出会いの内に人は永遠に生きる。このお茶に命を懸ける。このお茶をいただいた後、死んでも悔いはない。

事実、利休は、愛弟子との最後のお茶の直後に、秀吉に命じられた死を遂げました。利休の死を看取った彼の妻も、彼の最愛の弟子であった大名・福者高山右近も共にキリシタン。利休はその最期の時、「最後の晩餐」に続いて死を遂げられた主キリストのことを想ったのではないでしょうか。「利休のお茶の背景にカトリックのミサが考えられる」と、裏千家の前家元が英語版のお茶の本に書いていました。事実、一つの椀から回し飲みをするのは、利休の濃茶とカトリックのミサ以外にはありません。

「一期一会」。弟子たちとの「最後」の晩餐。そのことは、十字架を前に、主キリストには明確に自覚されていたはずです。後に、それは弟子たちにも、「最後の晩餐」に続く主の十字架の死と主のご復活を経て、明確にされました。「一期一会」。「わたしの記念として、これを行え」と、主キリストが、私たちに残された「ご聖体の秘跡」・ごミサ。これこそ「一期一会」の秘跡。人と人との出会いの秘義を教える利休のお茶をさえはるかに越えて、神と人との出会いの永遠の秘義に目を開かせ、さらにその永遠の秘義を私たちの身の事実とさせてくれるものこそ、ごミサです。

「一期一会」。利休が、お茶として私たちに残していったのは、彼自身です。彼との出会い。否、彼と出会いを越えて、人と人との出会いそのものの秘義です。「一期一会」。「最後の晩餐」、すなわちごミサで、主キリストが、私たちに残されたのは、主ご自身。主キリストにおける父なる神との「一期一会」の出会いです。実に、神と人との出会い。そしてそれは、余りにもリアルです。ごミサは告げます。「主イエスはすすんで受難に向かう前に、パンを取り、感謝をささげ、割って弟子に与えて仰せになりました。『皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡される、わたしのからだである。』 食事の終わりに同じように杯を取り、感謝をささげ、弟子に与えて仰せになりました。『皆、これを受けて飲みなさい。これはわたしの血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて、罪のゆるしとなる新しい永遠の契約の血である。これをわたしの記念として行いなさい。』 信仰の神秘(秘跡)。」

ごミサの中で司祭を用いて主キリストが、みことばとみ業によって聖別されたご聖体において、聖霊によりご復活の主ご自身が現存されます。数えきれない信者・殉教者たちが、ご聖体の内に現存されるご復活の主に彼らの生涯を託し、最後には彼らの命を捧げ、唯一人たりとも裏切られたことの無い、これがカトリックの信仰です。

ご聖体における主キリストとの「一期一会」の出会いの内にご復活の主のいのちを受けた聖アウグスティヌスは語ります。「キリストのご聖体を拝領する時、私たちは、主を私たちの体に変えるのではなく、ご聖体を受けた私たちの方が、主によって主のからだに変えられるのです。その時私たちの罪なる体が、キリストの栄光のからだへと変えられるのです。皆さんは、ご聖体によって、ただキリスト者(キリストに属すもの)とされるのではありません。皆さんはキリストのからだとされるのです。」

私たちの内にまで来てくださって「私たちの罪なる体を、キリストの栄光のからだに変えてくださる」ことがおできになるのは「聖霊」なる神お一人です。そうであれば、聖アウグスティヌスは、ごミサで私たちがご聖体としてお受けするのは、実は「聖霊」に他ならない、と明確に教えてくれているのです。「福音とご聖体において、活けるご復活の主キリストにお会いさせていただくのです」と先のベネディクト16世教皇はミサの秘義を教えてくださいました。私たちはすでに聖アウグスティヌスから、ご聖体においていただくのは、実は「聖霊」に他ならないと教えられていました。この「聖霊」こそ、目に見えないけれども活けるご復活の主ご自身に他なりません。

今、このごミサで、ご復活の主キリストが、ご聖体においてご自身を私たちにお与えくださいます。ご聖体の内に働かれる「聖霊」は、私たちの内に来て、私たちを罪なる体から主のからだへと変えてくださる。私たちは主のからだに変えられて神の国に「過ぎ越」させていただくのです。これこそ確実に神の国に帰らせていただく道です。私たちがごミサで祝うのは、ご聖体の主キリストにおける神と人との「一期一会」の出会いの秘義であり、ご聖体の主キリストと私たちとの「過越の神秘」です。

父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。

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